悠遊自在塾 |
第37回 2007年7月資料 |
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< 抜粋 > 「原因」と「結果」の法則 ―― AS A MAN THINKETH ――
ジェームス・アレン JAMES ALLEN【著]
坂本貢一[訳] (サンマーク出版) 心は、創造の達人です。そして、私たちは心であり、 思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、その なかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、みずから生 み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間 になります。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身 を映し出す鏡にほかなりません。 ジェームス・アレン
思いと人格 私たちの人生は、 ある確かな法則にしたがって創られています。 私たちがどんな策略をもちいようと、 その法則を変えることはできません。 「人は誰も、内側で考えているとおりの人間である」という古来の金言は、私たちの人格のみならず、人生全般にあてはまる言葉です。私たちは、文字どおり、自分が考えているとおりの人生を生きているのです。なかでも人格は、私たちがめぐらしているあらゆる思いの、完璧な総和です。 植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることができません。そして、私たちの行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。これもまた、その種がなければあらわれることがありません。意識的に行うことでも、無意識のうちに行うことでも、ひとつとして例外はありません。 行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。そうやって私たち人間は、自分自身が育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫しつづけるのです。 心の中の思いが 私たちを創っている 私たちは 自分の思いによって創り上げられている 私たちの心が邪悪な思いで満ちているとき 私たちは いつも痛みがつきまとう 雄牛を悩ます荷馬車のように もし私たちが清い思いばかりをめぐらしたなら 私たちには喜びばかりがつきまとう 私たち自身の影のようにして 私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。
私たちの誰もが内心では手にしたいと考えている、気高い神のような人格は、神からの贈り物でもなければ、偶然の産物でもありません。それは、くり返しめぐらされつづけた、気高く、正しい思いの、自然の結果です。そして、卑しい獣のような人格は、卑しく、誤った思いの、やはり自然の結果です。 私たちは、自分自身の思いによって、自分を素晴らしい人間に創りあげることもできれば、破壊してしまうこともできます。心という思いの工場のなかで、私たちは、自分自身を破壊するための兵器をつくりつづけることもできますし、強さと喜びと穏やかさに満ちた美しい人格を創るための、優れた道具をつくりつづけることもできるのです。 正しい思いを選んでめぐらしつづけることで、私たちは気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと下落することもできるのです。そして、その両極端のあいだにはさまざまなレベルの人格があり、人間はまた、それらの創り手でもあり、主人でもあります。 私たちの魂に響くあらゆる美しい真実のなかで、次の真実ほどに私たちを喜ばせるものはありません。そのなかには、私たちに対する神からの信頼と約束が込められています。
「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」 私たち人間は、強さと知性と愛を備えた生き物です。と同時に、自分自身がめぐらす思いの主人なのです。 私たちは、人生で直面するどんな状況にも賢く対処する能力と、自分自身を望みどおりの人間に創り上げるために使うことができる、変容と再生のための装置を内側にもっています。 私たちは、たとえもっとも弱い、もっとも落ちぶれた状態にあるときでも、つねに自分自身の主人です。ただし、そのときの私たちは、自分の所帯を誤って治めている、愚かな主人です。 私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、それを創り上げている法則を自らの手で発見したときから、自分自身の賢い主人となり、自分自身を知的に管理しながら、豊かな実りへとつづく思いを次々とめぐらすようになります。そのときから私は、自分自身の意識的な主人となります。 でも、私たちがそうなるためには、まず、自分の内側で機能している「原因と結果の法則」をはっきりと認識しなければなりません。そしてその認識は、みずからの試みと経験と分析によってのみもたらされます。 黄金やダイヤモンドは、ねばり強い調査と試掘のあとで、はじめて発見されます。そして私たちは、自分の心の鉱山を十分に深く掘り下げたときに、はじめて自分自身に関する真実を発見できます。 もしあなたが、自分の思いの数々を観察し、管理し、変化させながら、それらが自分自身に、またほかの人たちに、さらには自分の人生環境に、どのような影響をおよぼすものなのかを念入りに分析したならば・・・忍耐強い試みと分析によって、日常的で些細な出来事をも含む、自分のあらゆる体験の「原因」と「結果」を結びつけたならば・・・「人間は自分の人格の制作者であり、自分の環境と運命の設計者である」という真実に必ず行き着くことになるでしょう。
人間にとって、自分自身に関するこの真実を身をもって知ることは、悟りであり、知恵とパワーの獲得にほかなりません。 「求めよ。さらば与えられん」あるいは「扉はそれを叩く者に開かれる」という絶対法則は、ほかのどんな方向にでもなく、この方向にのみ存在しています。知恵の寺院の扉は、忍耐とあくなき探求なくしては、けっして開かれることがないのです。 |
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